50代の日常ブログ

介護その他の吐出しをだいたい終えることが出来たと感じます。もう少しちょっとした吐出しを続けて、そのあとはまた考えようと思います。

急速に高まる不信

姉と絶縁した経緯を書いていこうと思う。

違和感は小さいころからずーっとあった。しかしここではとりあえず父が入院する前、デイサービスをやめたころからの事を書くことにする。

2021年12月から父はデイサービスに行けなくなって家にいる。姉は11月、12月とうちに来てない。お正月は姪が行きたいと言ってる、弁当でも買っていくから行ってもいいか、と12月下旬に電話がある。もちろん来ると思っておせちも注文してあったので、そのように返事する。毎年来ているのになぜそんなことを言うのか。介護が大変だから気を使ったのか?だったら少しでも私が楽になるように考えればいいではないか。この時は深く考えなかったが、そうだよね。大変と知っているんだ。だけど手伝う気はさらさらない。そして姪がわざわざ弁当を自分で買ってくるから、というということは、姉から用意がないかもしれないと聞いたからのはず。しかしそれでも姪は来たかったので、電話で確認したんだな。

この年も初めから最後までお客さんとしてもてなされた姉。この時に今の状況、ケアマネの事をやはり苦情をいれたい、家での介護も限界が近いのでこの先施設も検討する、等話している。つまり今年が最後のお正月になるかもしれないことはすぐ想像できるだろう。

しかしそのあと1月も訪問は無し。2月16日に父は入院したが、姉に知らせたのは19日頃。その前の2月5日は父の81歳の誕生日。なんの音沙汰もなかった。その前の80歳の誕生日は傘寿のお祝いを、家で簡単にした。もちろんすべて私が用意して、姉と姪は参加するだけ。

父と母の誕生日、母の日父の日のお祝いなどはもちろん長年姉からは何もない。退職のお祝いや、喜寿のお祝いなどすべて私からの提案。

3月、姉からお墓のことで連絡があった。先日書いた通り、嫁ぎ先のお寺がいいのではとの事だった。連絡があってから私もお墓を調べたが、そこは場所も近いし価格もほどほどだったので了承した。そこで久しぶりに姉にあったが、すごく元気でびっくりした。そしていつもうちに来るときは時間にルーズで、遅れるなら連絡して、と再三言ってるにも関わらずきちんと来ない。しかし第3者が入ると、ものすごく早めの行動をとる。そのことが、このお墓の時や、叔父のごたごたをかたずけているときなどにわかった。なめられてんだな私。そしてほんとに他人の評価をすごく気にするんだなと思った。

4月も音沙汰なし。5月はゴールデンウイークの1日だけ、うちに来てもいいかとの連絡。家にきてお茶をして帰っていった。

父が2月に入院して、3月にお墓を買って、面会はコロナでできず、母は不安定だった。だから私はゴールデンウイークに連日いろいろ連れて行って気分転換をさせた。

母が昔から不安定な性格なのは姉もわかっているはず。心配してフォローする気は全くないらしい。少し前まで母がお金を配りまくっていたときは頻繁に来ていたのに、もうお金ももらえないとなると全く来ないのか。私はいささか驚いていた。

そしてお墓の相談の時に、私が葬式の式場はどこにしようか(もちろんいつになるかはわからないが目星をつけて調べておきたかった)、地域でメジャーな○○でいいよね。というと、姉は○○はだめだ。と強い口調で言った。なんで?と聞くとスタッフがよくない、という。「小さなお葬式」がよかったからそこにするといい、といった。小さなお葬式とは、叔父の時に利用した、コールセンターから地域の式場につないでくれる全国チェーンのシステムだ。その時私はかなり疲れていた。父が入院したので楽になると思ったが全くならず、頻繁にある病院からの連絡、足りないものの補充などに疲弊していた。自分からいったが、○○に決まると思っていたのを否定され、それ以上考えるのが億劫だったので、ではそれで、と同意した。

今思えば、スタッフがよくない?そんな理由ある?なんでわかるの?

おそらく、叔父の時にいろいろ調べたんだろう。ネットで見るとそのメジャーな○○は、相場が平均より高いと書いてある。しかしおそらくふたを開ければどこも同じような総額になると今は分かる。ネットでの判断なら小さなお葬式はかなり安く見える。

とにかく遺産を減らしたくないんだな。すごい執念。

この後父が亡くなってからもお金への執着がものすごかった。

 

 

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