50代の日常ブログ

介護その他の吐出しをだいたい終えることが出来たと感じます。もう少しちょっとした吐出しを続けて、そのあとはまた考えようと思います。

ASDだからといって許されない

今年も残すところあと3か月を切った。

1周忌も初盆も終わり、あとは再来週に父方本家の1周忌を残すのみとなった。

母は相変わらずであるが、私が姉にやるように言ったこと、毎日の電話と週一の連れ出し、病院の付き添い、これらをやってもらうだけで大分気持ちが楽になった。

病院は前もって母の状態は把握しておいたので、眼科の緑内障の薬を3か月に1回くらいもらいに行けばいいし、逆流性食道炎の薬は大目にもらったから当分行く必要はない。腰が痛いと言っているのは、整形外科に行かなければならないが、おそらく行っても治らないと思うし、せいぜいリハビリで通院になる手間が増えるだけだろう。そして本人も嫌がっているので、まあ様子見だ。病院の付き添いといってもすべておぜん立てはしてあるので楽なものだろう。

週一の連れ出しは、本屋や、今ならコスモスを見に行くなど、気晴らしと多少の運動になることをやってもらう。これもずっと私がやってきたが、手が離れてほんとにほっとした。しかしこれから寒くなると、母のおもらし問題が出てくると思うが、まあそこまで考えてあげる必要もないだろう。自分で対処して下さい。今までは、リハパンはかたくなに拒否だったので、車に着替えのパンツとズボンを常備していた。そして車のシートが汚れるので(漏らしても言わないから)、車用の安い座布団を敷いている。

親戚にたくさん会う1年だったので、我が家の事を考えてみると、ASD自閉症スペクトラム)の傾向が強い集まりだなと思った。

父は自分で口下手だと言っていたが、時代的に家父長制が強かったから助かったのではないか。おそらく他人に興味がない。いや、序列や社会的立場に興味はあるが、人情に疎いといったところか。OB会などは積極的に出ていたが、役割はあっても個人的に親しい人はほとんどいなかった。我が強いが気が弱いので我が強いことが目立たない。これは姉もそっくりだ。顔も父と似ている。我が強いが、気が弱いし、父もそうだったが人を見て態度を変えるタイプ。ただ気が弱いので、自分が弱いと自覚した場所ではそうした言動が目立たなかった。

母もタイプの違うASDだ。こだわりが強い。全体を10とすると2に異常にこだわって8が全くひどい状態にある。時間にルーズなのも、ASDの人は自分のペースで心を落ち着けているという説明もあり、納得。パニックになりやすいからだ。

ASDの方は相手の立場や気持ちを上手に想像することが苦手なため、不適切な発言をしてしまう、人との距離感が分からないなど、対人関係が苦手な傾向があります。 また、興味のあることには行き過ぎた集中をしてしまう、こだわりが強く臨機応変な対応が難しいといった特性もあります。

私もASDの傾向がある。白黒つけたがる。過集中。対人関係も距離感がわからなかったし、(考えが暴走すると止められなかった)正義感はあるが思いやりはかけていた。しかしこれらは成長の過程で学んでいったし、自分の生きやすいように調整していった。

姉が躁鬱になったきっかけは対人関係だ。わたしは姉と父は考えが未熟だなとずっと思っていた。姉がうつ病と診断された当初、父は姉に向かって、「(職場で)いらんといわれるぞ」と軽口のように言った。この時父は60歳過ぎている。うつ病って相当なことだと思うし、まだ回復してない人にこんなことしか言えないなんて、なんて幼稚な人だろう、と私は思ったものだ。

しかし姉も同じ人種だ。私に対する数々の不愉快な言動も、本人には普通の事なんであろう。小さいころから学生時代までは、私が成績が良かったので、姉は全く私に絡んでこなかったし、不愉快な言動もなかった。しかし社会人になり、私は転職を繰り返し、アルバイトやパートもしていた。30代は子宮内膜症がひどくなり、起き上がれなくなって2,3年寝て過ごした。かたや自分は父と同じ公務員となり、結婚もし、子供も生まれ、大きな家も建てた。すると私への妬みを隠すことはしなくなり、不愉快な言動をするようになった。自分が上になったと思ったんでしょうね。1年半前ごろ、私の収入が安定してきて、車の買い替えで普通車にしたら、目を丸くしていた。ほんとに漫画みたいに。

職場であわない人がいる。それが鬱へのきっかけだそう。しかしそれを聞いて、さもありなんと私は思う。合う人なんてそうそういませんよ。みんな協調性をもってやってるんです。

姉が長年通っているマッサージ屋さんに、昔1度連れて行ってもらった。姉が鬱になって1年たったころか。おそらく愚痴をここで言っていたんだろうが、上司が役に立たなくて、私が使ってやっている、そんな趣旨だったと思う。うちでも似たようなことを言っていたから。するとそこのおじさんが、「使われてんだ!」と吐き捨てるように言った。気持ちはわかる。私もそう思う。しかし妹に言うことだろうか(しかも初対面です)。よっぽどおじさんもたまっていたのか。そのほか、姉といるとその周りの人から不愉快な気持ちにさせられることは多々あるし、姉の愚痴には一つも共感できない。とにかく未熟だなとしか思わない。

ASDの特徴の、不適切な発言をしてしまう。姉に当てはまる特徴だと思う。しかし誰しも発達の凸凹はあるし、姉に関してはただ単に性格が未熟なだけではないのか。すべて発達の問題にすり替えてほしくない。なぜなら、おそらく社会人になってしばらくは、自分が立場が下だから、このような言動をしてなかったのではないだろうか。しかしだんだん中堅になったころ、私にしたように口にするようになった。妬み嫉みはいっぱしだし、お金に絡むことは周到に考えて立ち回る。母のように時間が守れないわけでもないし、こだわりで困ったことも、過集中で困ったこともない。目端が利いてこざかしい。場の空気も読んでいる。そしていつもニコニコ笑顔だ。

しかし言われたことはきっちりやる。逆に言われたことしかやってないが。これもASDのなせる業か?(※補足追記:介護以外で家に入るのは許さないといったにもかかわらず、母が招き入れたら(用意が間に合わなかったので)入っていたし、喫茶店代を母に払わせたりして、ASDの決められたこと以外できない融通の利かなさは全くない。ただただ利己的にふるまうのみだ)

お墓参りに関して。昨年10月に49日が終わってから、今年の9月のお彼岸まで、姉は1度しか来ていない。2月の父の誕生日のみだ。なぜわかるかというと、私と母は(正確には私だけで、母は私に言われるがままついてきているだけ)頻繁にお墓参りをしているので、お花が変わっているかがわかるのだ。夏は傷むのが早かったが、それでもお盆、9月3日の命日、9月のお彼岸、一切変わってなかった。年末年始もなし、3月のお彼岸もなし。しかしまさか1年目の命日も来てないとは。さすがお盆に手ぶらで会食に(旦那名義のご仏前1万円のみ)来ただけの人ではありますね。

こうやって書いていても、昔のように激しい怒りはない。あきれることもそんなにない。そういう人なんだな、もうかかわらないでいいんだなという思い。

今回はとりあえず、こんな感じの吐出しでした。

 

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