50代の日常ブログ

介護その他の吐出しをだいたい終えることが出来たと感じます。もう少しちょっとした吐出しを続けて、そのあとはまた考えようと思います。

大忙し

7月の父の徘徊・幻視っぷりは前回に書いた通りだが、デイサービスに通所するための段取りをつけるため、手配なども特に忙しかった。7月頭に脳神経内科を再び受診。病状の悪化を伝え、薬の処方をふやしてもらった。認知症の進行を遅らせる薬の増薬と、夜寝れるよう向精神薬を新たに処方。

中旬に市の認定調査があった。その1週間後に包括センターの人がきていろいろな手配をしてくれ、デイサービスの目星をつけてくれた。そして要介護2くらいだと思う、と言われた。結果は1か月後、要介護1だった。

デイサービスにすんなり通ってくれるかはわからなかったが、条件として、民家を改装して運営しているようなところはさけてもらい、ある程度がっちりとした何かの施設のような建物を希望した。父の性格から、民家のようなアットホームな建物は、入らないと思ったから。しっかりした建物で、リハビリをしに行く、という体なら行ってくれるかな、との思い。

そして7月下旬、父・母・私で見学に行った。その建物の周りは関連の建物がずらりと並んでおり、老人ホームもあった。(建物の前に看板がでている)車で通るとき、その建物群をみて母が、わ、なにここ、あ、これ老人ホームだって!と興奮して騒いでいる。

これからデイサービスに行ってくれるかどうかのデリケートな時に、老人ホームというワードを連呼するなんて。母は発達障害があるんじゃないかなと思っている。ほんとに疲れる。

中に入れてもらって軽く見学して、お風呂場なども見せてもらい、割とすぐ帰った。

雰囲気は明るくて、まあ他を見学するつもりもなかったから、そこに決めた。しかしここは後々ずっとよくしてくれて、とてもとても助かった。

見学の2日後に、お試しで父はデイサービスに行った。お迎え時職員さんがうまく父を誘導してくれて割とすんなり行けた。しかし初日でお風呂に入れてもらったのがいけなかった。(デイサービスの目的として気晴らしもあったが、お風呂の負担軽減もあった。毎回手伝いに入るのは大変だった。朝から着替えの手伝い、朝食の手伝い、徘徊の抑制、夜寝るときの手伝い。そしてお風呂もだと休む暇もない。)帰ったら興奮しており、どうだったか聞くと、ストリップがはじまったぞ!と大きい声でいう(妄想がさく裂した)。ずっとそのようなことをいっており、そんなわけないのに母が、そういうとこはどうなの?という。そして私が席を外すと、父に、もう行くのやめるっていいなさいよ、と何度も言っている。(こっそり陰から聞いていた)

はあ~~。頭のおかしい人2人の相手は無理だわ。今書いていてもほんと、ギブアップです。誰か助けてあげて。

 

にほんブログ村 介護ブログへ
にほんブログ村