50代の日常ブログ

介護その他の吐出しをだいたい終えることが出来たと感じます。もう少しちょっとした吐出しを続けて、そのあとはまた考えようと思います。

介護しないのに

今は母と2人暮らしで、母との関係もまあそれなりですが、数年前は叔父のこと、父の介護のことで私が母にきつく当たっていたので、関係はよくありませんでした。でも優しくしても父の介護はしなかったと思うし、叔父をかばうことも同じだったと思うので後悔はありません。

あと吐き出したいのは、脳神経内科の先生とのこと、ケアマネジャーのこと、それに付随する福祉用具貸与業者のことです。そして姉のこと。アカばれが怖いのでかけないと思っていましたが、そんなにアクセスがあるわけでもないので、書いていこうと思います。 

今まで叔父とのことでたまに出てきた姉。実家から車で7分くらいのところに住んでます。それなのに介護に全くかかわっていない。なぜか。それはもう10年以上躁うつ病だからです。しかし始めはうつ病の診断だった。そして私と母は、初めの数か月はご飯を作りに姉の家に行き、その後8年近く週末家でご飯を食べさせていました。割と親身になって世話をしていた。生活について口をはさむようなことはせずに、ただただフォローすることにしていた。

しかし何年たっても復帰しては休むの繰り返しで、ついに同僚からセカンドオピニオンを受けてほしいということで、受診後、躁うつ病がわかりました。ちなみに公務員だから簡単に首にならない。

しかし始めから私はこれはうつではないな、と思っていました。うつは自責の念が強いはずなのに、姉は始めから他責。何かの時に、「私を誰だと思ってる!」と言っていてびっくりしたものです。そして鬱で休んでる数か月の間、何とディズニーランドに遊びに行ってます。どうしたらそういう思考回路になるのか。その後も遊びは元気になるらしい。

姉は昔は特に目立つわけでもない人物。そして泣き虫。気が弱かった。なのにどうも父と似ていて、気が弱いくせに秘めている我の強さがあったらしい。高校卒業後父と同じ公務員になって、結婚して大きな家を建てて暮らしていた。私とは特に仲良いわけでも悪いわけでもなく、小さい頃はそれぞれの学生生活をしてました。

父がはじめて認知症の病院を受診して1年くらいはまだ、姉は仕事を復帰したり休んだりしていた。だからその間私は1回は病院に来ればいいと思い、誘って病院で待ち合わせた。しかし姉は診察室には入らなかった。そしてそのあと1年後くらいから、姉の娘が県外の大学を卒業し自宅にもどり働きだしたので、姉も仕事に出れるようになった(見栄はりだから)。出れるようになってもたくさん休んでいたと思うが、長期の休みはなくなった。

そしてうちには1か月または2か月に1回、お茶をしに来るだけ。その場で私は介護の進展を逐一話している。これは父が入院するまで変わらず。ただ来てたまにはご飯も食べて、外食するときもあったが、すべてうちが支払って、そしてなんと母がこっそりお金を渡している!

お金については何年も前から母が定期預金を見せて、うちにこれだけある。これで2人分の葬式とお墓代、足りるでしょ、といつも言っていた。今思えば姉はこれを狙っており、少しでも多くもらおうとしていたんだなと思う。そしてうちに来るのも、様子をうかがっていただけなんだなと。

叔父のごたごたがあって、姉がうちに来て私と2人になった時、唐突に「葬式(父の)どうする?」と言い出した。その時まだ父は診断から2年くらい(1年半弱でした)、体も元気でこれから介護が大変になるときだったので、驚いた。私は介護で毎日手いっぱいだったので、考えたこともなく、「まだまだ死なんでしょ」と言ってこの話は終わった。ずっとお金のこと考えてるんだな、そして介護手伝う気ないんだなと今ならわかる。この後姉とは相続がすべて終わってから、私から絶縁状を出して連絡を絶っている。

姉は30代以降入院を何回もしていたり、病気がとにかく多い。胆石だったり帯状疱疹だったり、脳に水がたまる難しい手術だったり。ほとんどがストレスだと思う。

だから私は姉が介護について何もしないことを特に咎めたりもしなかった。

しかし介護のさなか、母の認知症も進み、お金をばらまいてる時期があり(習い事の友達に意味もなく2万わたしたり。あとで発覚)姉にもたくさん渡していました。その中で、デイサービスに行ったりしているので、うちでは節約して生活しているのに、母がお金をばらまくので年金が底をつきました。介護全部私がやって、自分はうちに来るたびにこっそりお金もらって(母は上げたこともすぐ忘れるので何回もあげる)、食事代も払わず、さすがに私は姉に電話をしました。こそこそお金もらって!うちのお金がすっからかんになったじゃないかと。これからは母からお金をもらったら私に言ってほしいといいました。

電話で怒った後も姉は私に普通に接してきていました。昔からそうですが、とにかく仮面をかぶっているように割とニコニコしている。でもいつも私はうわべの顔だなと思っていました。

とりあえず今日はここまで。

 

 

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