50代の日常ブログ

介護その他の吐出しをだいたい終えることが出来たと感じます。もう少しちょっとした吐出しを続けて、そのあとはまた考えようと思います。

一旦解決

3月中旬、いとこがまた県外から来てくれました。初日は夕方私の仕事が終わってから待ち合わせ、一緒に叔父の家に行き(夕方は家にいる確率が多いし、電話にはなかなかでないので)次の日10時ごろ話し合いに再度来るので必ず家にいて、玄関を開けるよう念を押して帰りました。

いとこは家賃の引き落としの銀行での手続きにかかる書類を、すべて揃えておいてくれており、あとは叔父の銀行届出印があればすぐに提出できる状態にしてくれていました。大家さんにも了解済み。問題は車を手放すことに同意するか。どうなるか予測がつかない中、翌日いとこと二人で10時頃叔父の家に行きました。

訪ねていくと、しばらくして叔父が出てきました。そして話をするのに近所のファミレスに行くことにし、3人で私の車に乗り、2・3分で着くファミレスに入りました。

皆で飲み物を頼んでから、いとこが叔父に尋ねました。どうするつもりですか、と。叔父はなにからちの明かないことをペラペラ言っていたと思いますが、いとこは本題に入り、1か月でも滞納したら車を処分する約束だったこと、それがなくとも車の維持は無理であること。など話しました。すると何と叔父はあっさりと車を手放すことに同意しました。そして自分一人では処分の手続きができなかったので、きっかけをくれてありがとう、などと言いました。

我々はあまりにあっさりと同意したので驚きましたが、善は急げということで、その足で車を売却に行きました。叔父はどこに行けばいいかわからないというので、私が5・6年前に車を査定に出した3件の中で一番良かった買取の会社に向かいました。そこも家から車で2分のところです。一度叔父の家に戻り、車の中を軽く整理してもらい、私の車が先導して、後ろについてきてもらいました。査定するのに時間がかかるので、いったんかえり、その間私たちは銀行で手続きをすることにしました。

叔父に銀行の届出印をもらい、いとこと2人で銀行に行きましたが、印鑑が違いました。そこで叔父が持っているのはあとはサイズの大きい実印のみだったので、こういう印ですか?と尋ねると、ほんとは答えたらいけないんですが違いますと言われ、そうするともう印鑑がおそらくない。行員さんが、印鑑の届け出の変更をすれば手続きできますよ、でも本人が来ないとできませんと言われ、本人と来るのがいやだったからいとこが万全にそろえてくれていたのに、台無しでした。

そして一度帰って叔父を連れてきて手続きのやり直し。時間はかかりましたが1つのミッションは終わりました。

そして車屋へ。査定額は20数万円。私はまずまずだと思っていましたが、叔父はもっと高いかと思っていたと。まあ選択の余地はないので買取をお願いしました。細かいことは忘れましたが、車の名義の住所変更か何かをしないと買取できないとかで、陸運支局?軽自動車協会?で手続きをしなければなりませんでした。幸いここも車で5分少々のところ。3人で行きました。すると今度は免許証の住所と登録の住所が違うので本人確認できない。と言われ、今の家に引っ越す前の家の住所(が登録されている)を口頭でいいのでいってもらえれば手続きをすすめます、との事。叔父に聞いても忘れてわからない、私たちが知るはずもない。困っていましたが、ふと、家に母が書いてる電話帳があり、そこに前の住所が書いてあったのを思い出し、家に帰って探すと書いてありました。そこからいとこに電話して住所をメモってもらい、窓口に伝えてもらいました。そして私も戻って手続きを終わらせ、車屋に戻って書類を渡し、それから手続きをするので書類がそろうのは夕方ということで、夕方もう一度行くことになりました。

この時点で14:00すぎまでかかっており、いったん別れて再度16:00頃叔父の家に集まり、車屋に行くことにしました。

この間私はお菓子を買いに行き、大家さんに渡してもらう用、いとこ用、叔父用と3つ用意しました。(大家さんに渡してもらう用は、まあ渡すとは思ってないですが一応。大家さんにはさんざんこちらから何回も渡してます)

そして再度車屋へ行き、書類をもらって、お金は来週銀行に振り込みますということで(それ用の手続きもした)終わった。

叔父の家に戻り、よかったね、無事終わった、疲れたね、お疲れさまでしたなどと言い合い、時間はかかったけどしなければならないことが1日でできたことで、お互いをねぎらい、叔父もありがとう、などと感謝の言葉を我々にいい、私からお菓子を渡して別れました。

いとことも2人でよくやったよね、よかったよかたったと達成感でいっぱいで別れた。

しかしまだ終わってはいない。車の保険の解約をしてもらうことと、3月末分は叔父から大家さんに手渡しで渡してもらうことになっている。これは車のお金が入る来週以降ということになる。

車の保険は、書類を見せてもらっていたので、解約の書類をきちんと出したか私が最後まで確認の電話をかけること(保険屋に)、大家さんに家賃を払ったかはいとこが確認することになっていた。

車の保険は解約がほんとにぎりぎりで間に合い、これを逃していたらまた手続きが大変なところだったのでいとこに感謝だ。(少しでも期間を過ぎていたら全額払いこんで、そこから返納手続きになり、もちろん全額は返ってこないところだった)

しつこくしつこく電話で確認し、4月の上旬には家賃の支払いも確認し(それでも4月にはいってから!)、そして家賃の引き落とし変更も、きちんと4月15日に2か月分引き落とされたと連絡があった。

これで約半年にわたる怒涛の日々に、とりあえず終止符が打たれた。

そしてこのあたりからコロナが流行りだしたので、4月まで未解決だったらいとこが来るのは難しくなったので、ほんとによかった。その後叔父は叔母の家に何度か行ったようだが、断わられ家に入れてもらえなく、4月末に母、叔母、叔母の娘の3人で叔父の家へ行き、そこで電気が止まっていたので手続きした模様。(もちろん母は行ったことを私には言わない)

母は5月にも叔父の家に叔母を誘っていこうとしていたようだが断られ、その代わり本家に3人で行っていた。おそらくそれで気が済んで、それ以降叔父の家にはいっていないはず。

そして4月からは入れ替わって父の状態が悪くなったので(ブログの父②から)、叔父の件がいったんかたずいたのは本当によかった。ここから年内までは大家さんからの連絡は一切なかったのだった。

 

 

 

 

にほんブログ村 介護ブログへ
にほんブログ村