50代の日常ブログ

介護その他の吐出しをだいたい終えることが出来たと感じます。もう少しちょっとした吐出しを続けて、そのあとはまた考えようと思います。

葬式のオプション納棺師

父の葬式でやってよかったことを思い出したので書こうと思う。

父が深夜に亡くなり、葬儀場を決めて病院から家に搬送してもらったその日の朝。葬儀の担当者が家に来て、我々は葬儀のプランを決めていた。

プランの中に「納棺師」というものがあって、プラス4万円だったかな。どういうものかわからなかったが、担当者は自分の話として、お父様の最後として、後悔していることがあり、それがご遺体の口が開いていたことだという。きれいに整えて最後を送ってあげたかったとの事。

父も、背中から首が前に出て固まっていて、生前も寝るときは枕を高くしていた。遺体を普通に寝かせると、頭の先が顎より下の位置になり、口が開いてしまっている。どうやらそれを整えてくれるらしい。

言われたので追加プランにしたが、これがとてもよかった。父が家を出る、最後のひと時を、みんなで見守りながら納棺師さんに整えてもらって、いろいろな説明もしてくださり、父の最後にできる限りのことをしたと満足できた。

これはたぶん運の問題でもあると思う。とても良い納棺師さんに当たったと思うからだ。

男性で、関西のイントネーション。京ことばっぽい雰囲気。

「納棺師」で調べると、いろいろな儀式や、湯灌(ゆかん)をやるなどと書いてある。しかしドライシャンプーはしてくれたが、湯灌はなかった。これは私としてはよかった。病院でも、父が亡くなった後体を清めるところに立ち会うかと言われたが、断った。父も我々に裸を見られたくないだろうと思ったからだ。介護の最中も、私が娘だとわかっているときは、極力体を隠していた父だ。

納棺師さんのそれはエンターテインメントのようで、ものすごく手際が良かった。着物を着換えるときも、肌が一切見えないように、でも我々からは着替えが見えやすく、まるでステージと観客席のようだった。説明も絶え間なく柔らかい口調で、てきぱきと作業をしながら進めてくださった。

死に化粧をしてくれる時、病院でも粉をつけてくれていたことを教えてくれた。ファンデーションがついていたそう。病院で最後にそんなことまでしてくださっていたなんて、納棺師さんがいなければ知ることはなかった。

病院でも家でも、最後にこんなにいろんな方にお世話になって、きれいにしてもらえて、よかったね、と父に言った。

あわただしく進む通夜・葬式への段取りの中、ひと時の充実した時間だった。

 

 

 

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母、お金の心配がなくなったらエアコンを付けだした

逆流性食道炎で6月上旬から寝込むことが多かった母が、先週より朝から起きれるようになった。薬はまだ飲んだり飲まなかったりしているようだが、あさ9時から10時に起きるようになったことはよかった。そしてなにより、日中横にならなくなった!逆流性食道炎には食べてすぐ横になるのはよくないと何度も言ったが、それを実行するとは驚きだ。もう何十年も(!)ゴロゴロしていたのに、そして記憶に留めるのが難しくなっているのに言ったことを覚えているとは。

原因は2つあるように思う。

1つは梅雨があけたこと。慢性的に胃の調子は悪いようだが、ひどく悪くなって寝込むようになったのは、季節の変わり目と、大気の不安定な時期だ。私も調子が悪かった。それが梅雨明け宣言がでて1・2日で朝起きれるようになった。

もう1つは楽しみが少しできたこと。お盆に向けて部屋の掃除をしているのだが、60歳頃から始めた母の趣味の刺繡の作品を、最近部屋のあちこちに飾りつけた。今までは父がたばこを吸っていたので、作品は玄関と、掛け時計になったものをダイニングにしか飾ってなかったが、父がいなくなったことでリビングや床の間に飾れるようになった。なのであるもの全部部屋に出した。とてもうれしそうで、やっと日の目を見たわ、と言っていた。

すると少し掃除をする気になったようで、リビングと続きになっているダイニングの出窓の下にある収納を整理し始めた。古いオアシスや1輪挿しにすると言ってとっていた飲み物の瓶など(ほぼゴミ)もあっさりと捨ててくれた(喜)そして出窓にいろいろ花瓶を飾りつけていた。

いままで通っていた体操や刺繍の教室などは2年前からすべて辞めていて、することは庭の手入れくらいになっていたが、先日家にあったクッションの刺繍キットをやろうかと言っていた。まあ今見ていると出しただけで全然やってないのだが、やる気になっているのはいい傾向だ。

そして高齢者のエアコンつけない問題。これは父が生きていたときはまさにうちの母もそうだった。母は異常な暑がりだ。それなのに暑い暑いと言いながら、エアコンは寒い、と言ってすぐ切っていた。そして扇風機を回して涼しいという。(温風を混ぜ返しているだけなのに)

ところが。父が亡くなり私がお金を管理するようになって、電気代の心配から解放されたらしく、今は素早くエアコンをつけている(笑)今までは風が当たって寒いと言ってすぐ切っていたのが、ひざ掛けを用意してエアコンは切らない(笑)。扇風機にこだわっていたのに、もう存在を忘れたかのように出しもしない。

夜は寝る前に自分の部屋のエアコンをガンガンかけて、十分に冷やしてから寝ているようだ(笑)

もちろん冬も、寒くないから、と言って暖房を切って、こたつにもぐって1日を過ごしていたのが(何十年も)、今は普通にエアコンをつけて、足だけこたつに入れて、こたつにもぐらなくなった(笑)

そして今までは、固い床に寝ていたので(夏は暑いと言って畳の上、冬は畳の上にこたつの薄い敷物を敷いただけの所。)腰が痛い腰が痛いとずーっと言っていた。今も腰が痛いとは言うが、前ほどではない(しかし腰はこの1年でずいぶん曲がった。腰だけでなく老化がかなり進んでいる)

以前の母は節約という名の非効率を行っていて、(電気代をけちることによって動かなくなっていたので寿命も縮まっただろう)暑くても寒くてもかたくなにそれを認めなかった。

ちなみに室温は18℃以上が世界基準のようだが、日本はワースト1位のようだ。我が家も冬のリビングはせいぜい13℃だった。トイレその他はもっと低い。

WHO(世界保健機関)は2018年新しいガイドラインを発表

「居住者を健康に対する悪影響から守るためには、家の室内温度は十分に高くあるべきである。
温帯の、もしくは寒い気候の国々に対しては、寒い季節に一般の人々の健康を守るために安全で
バランスのとれた室温として、18℃が提案された」

冬はヒートショックが怖かったので何度も室温について言い合いをしていた。

しかしお金の心配から解放されると、(別に収入が増えたわけではない。)すんなり快適な生活を受け入れた(笑)

こちらとしては大変助かる。

しかし、お金ってほんと、大切だな。いや、自己責任にしてはいけない。庶民が選挙に行かないのが不思議でならない。このまま自民党が続けば、増税と戦争で大変な未来になるというのに。税の実質負担率は50パーセント前後ですよ?それなのにまだまだ増税するつもりの自民党。今年度は過去最高の税収だったにも関わらず、国民に還元せず、防衛費の増額。2世だらけの議員は我々の生活なんてどうでもいいに決まってる。かといってほかにいい人がいないというのもわかるが、それでも、自民党は落とさなければ。

 

 

 

 

 

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樹木葬で檀家じゃないのに会費の納入書が送られてきた

お寺さんからお盆の迎え方の詳細が書いてある封書が届いた。

「五如来幡」という、祭壇に飾る、七夕飾りのような(失礼かな)「幡」が入っている。

これをお盆の祭壇にかかげてくださいとある。とてもありがたいが、それとは別に檀家あてに護持会費・盆諸費・灯篭流しの納入願いが送られてきた。

うちは檀家じゃないよね?樹木葬にしたのだが、土地はお寺さんの土地で管理は石材屋さんで、契約の時に確かお寺さんの宗派に理解を示す、という書に名前を書いて印を押したが、檀家ではないという話だった。

今回は初盆の法要を、1周忌と合わせて頼んでいる。お盆時期は忙しいからということで、8/5日になった。

護持会費は5000円で、盆諸費は1口1000円とある。6000円だから払ってもいいのかもしれないけれど、墓の管理費を毎年8800円石材屋さんに払っているから2重に支払いしているようになると思うんだが。

思考がぐるぐるしてきたので石材屋さんにメールで聞いてみた。

住職さんに直接聞いてみてくれて、うちは檀家ではないが準檀家の扱いで、支払いは任意だそう。石材屋さんは払わなくていいと思うと言ってくれた。

管理料8800円の内からお寺にいくらか渡しているそう。檀家なら年会費は3300円との事。うん、やっぱり払うのやめよう。聞いてよかった。払うところだった。だってお布施はその都度お車料、必要あれば御膳料と合わせて支払ってるわけで、(今回初盆は1万円、1周忌が3万円、お車料3000円、御膳料5000円で、合計4万8千円だ!十分ではないか?)管理料も払ってる。少しぐらいと思っているとどんどん膨れ上がりそう。

石材屋さんが親切だったからよかった。しかしこういう些細なことで神経がすり減っていく。1周忌で法要は終わろうかと思っているが、どうだろう。もしかしたら3周忌もやるかもしれない。でも今年が一番大変で、来年以降はゆるくなるだろうから、初盆を乗り切れば開放されるように思う。あと1か月を切った。準備頑張ろう。

 

 

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父の死後1週間でお金の話

2022年9月2日 16:00過ぎ、病院から父危篤の知らせがあって、私と母は17:00前に病院についた。姉は姪と18:00~18:30頃来たと思う。

何とか持ちこたえているとのこと。父を見るととても苦しそう。看護師さんが父の手のミトンを外して手を握らせてくれた。しかし父はもう我々を認識することはなかった。とにかく苦しそうで(酸素マスクをしている)足の位置をしきりに変えていた。20:00ごろまでいたが、父は寝たようだったので、また明日の朝来ることにして、いったん帰ることにした。

しかし23:37 病院より電話。呼吸が止まったとの事。至急病院に行った。心臓はまだ動いていた。私、母、姉、姪がそろって見守る。

9/3 00:19 心臓が止まった。

ここからは詳細は省いて姉との事だけをピックアップしていく。

病院から家への搬送や葬儀場を決めるために、病院の別室で「小さなお葬式」の資料にある番号に電話した。すると提携先はいっぱいとの事。提携先ではないが、1つ紹介できるところがあるということで、会社名を教えてもらい、ネットでホームページ等を見てみた。その間、姉は、義理のお婆さんの葬式会場がよかったよと言って進めてきた。大分高齢で亡くなられたのに加え、知人もいないので最少人数での葬式だった、マイナーな式場だ。私はこのころもう姉に疑問を持っていたので、却下し、紹介してもらった会場がHPではとてもきれいだったので、そして値段はおそらく一般的な金額、私が姉に提案した最初の葬儀場とおそらく同じレベルの金額であったのでそこにした。ここはできて2年ほどの新しい会場で、明るくてとてもよかった。お坊さんは後に、教会みたいな会場ですねと言っていた。ぴかぴかで綺麗。

そして家に父を搬送してもらって翌朝、お寺に電話した。お墓を買った土地のお寺さんで、檀家ではないが、お世話になった。通夜、葬式をといったが、まず枕経というものをするということを初めて知った。ここのお寺さんはオープンで、お布施も教えてくれるし、戒名代は取らないという。

お寺さんが来る前に、葬儀社の人と姉と私で打ち合わせがあった。

ここで姉は、家族葬にする。読経は通夜葬儀だけでいい。逮夜や49日もしなくていい。位牌も作らない。魂を入れたり抜いたりするのにお金がかかるから、といった。

私は全く相場がわからなかったので、いったいいくらするのかと思ったら、通夜葬儀以外のお布施など1万~3万程度のものではないか。しかしその時は分からなかったので、黙って聞いていた。

しかし、お寺さんがオープンだったおかげで、だいたいの金額がわかり、また戒名代もないということで、逮夜を1週おきにし、49日もやることにした(私が)。(当然だ)

そして通夜葬式が終わり、名義変更や母の遺族年金の手続きや、病院へのあいさつなどをやりつつ、9/10(土)にみんなで仏壇を見に行った。

姉は仏壇は数万円のものでいいと言っていた。それも含めていろいろなところを見て回った。安いところはとても雑に扱われていて、安い家具売り場より悪いんじゃないかという感じ。安いと言っても、この材質で数万円とは、むしろ高いんではないかと思い、普通に老舗の仏壇屋に絞った。そしてその中でも安いものを見ていたが、安いものは大きさが半分のもので、別に下の台を買わねばいけない。その手配や設置の手間をかけるなら、普通のものでいいではないか。そしてそのお金は父が用意しているではないか、と思い直し、小ぶりだが予算の範囲内の(私の中で)立派な仏壇にした(私が)。

そして、記憶があいまいだが、日程からしてこの日しかないので、おそらくこの日9/10日。なんと、姉は、銀行の手続きの事を言い出した。2・3日前にも、相続の事を言っていたが、私は家の手続きに忙しく、まだそれどころじゃないよ!といったにもかかわらず。父が死んで1週間にもならないうちから、お金の事言ってるんですよ。

そして、この日、9/10日、姉は自ら、9/20(火)私は前から休みを取っていた。(月曜日19日は敬老の日で3連休の週。20日休むと4連休だ。)銀行に凍結の手続きを私が行こうか、といった。驚き!!5年間の介護で、1日たりとも自らの休みを告げたこともなく、何かしようか、などといったこともないのにだ!!初めて聞いた言葉は、お金を凍結させること!!いいお葬式をやったり、いい仏壇を買ったりして、お金が減っていくのが耐えられなかったのだろう!!ちなみにこちらの地域では、届け出を出さない限り死亡しただけでは凍結されない。なので何もしなければお金は引き出せる。まだ葬式から1週間だ。逮夜、49日があるのに、なぜわざわざ凍結させる必要があるのか!!

しかし私はてっきりもう銀行が凍結されてると思っていたので、いろいろな父関係の支払いを代わりに払っていた。そのことを姉にいいつつ、銀行の手続きはまだいいと断った。(当たり前だ)ちなみに父関係の用事の際、姉は一銭も払っていない。合間のお茶代もだ。家に来て留守番する間、自分の家の食材(ジャガイモなど)を持ってきてお昼を作ってくれたくらい。それも1日だけ。そしてそれさえも、自分はいつも作る品数が多いと姪に言われる(料理をきちんとやっているアピール)。こないだ6万の(!!)炊飯器を買った、とマウントをしていた。(姉の家は無洗米で、更に3合炊きなので、炊いたご飯はあまりおいしくない。前からうちの家のごはんはおいしいと姪や姉の旦那さんが言っていた。そして3月ごろ、姪がうちでかつお節に醤油をつけてご飯だけを食べていたら、姉があんた家ではそんなことしないでしょ、と言っていたので悔しくて買ったのでしょう。でなければわざわざ言わない。)しかし、、うちには1銭も払わないどころか母から吸い上げて私に抗議されたのに、父の葬儀は最小限にしようとするのに、自分には大金を使ったことを言う神経が私にはわからない。料理をきちんとやっているアピールをするが、その前10年程度、毎週家でご飯を食べさせてもらっていたことに対するお礼もなければ、元気になった報告もない。何事もなかったように(むしろ気づかれないように)自分は日常に戻っている。

とにかく、父の死後1週間は、驚きの連続だった(後から考えれば考えるほどひどいな)

続きます。

 

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父の危篤

父の事を書きながら姉の事吐き出していきます。今回は父の事多め。

 

2022年7月6日。病院の先生から電話。肺炎は治った。CTをとったら右の肺が気胸を起こしている。手術となると大がかりなので転院になる。手術しない場合、肺炎を起こしやすく、生命の維持が短くなる。とのこと。

父は2月に入院してから、熱が下がって口から食べられるようになるとまた肺炎になるというのをくりかえして、どんどん痩せていっており、面会に行ってもどんどん意思の疎通がなくなっていっていた。転院して手術するとなるとまた混乱と不安は大きくなる。手術しなくても苦しいだろうが、この状態で手術するのもまた苦しいだろう。

父は長年ヘビースモーカーで、おそらくもうずいぶん前から胸は悪かった。息はすぐ上がるし、左胸(心臓)をよくトントンと叩いていた。そして脳神経内科にまだ通っていたとき、痰が絡んで胸もいたいというので肺の検査をしてもらった。そこはちょうど呼吸器系のおおきな病院だったので、別室で検査し、検査結果を持たされて脳神経内科に帰ったのだが、その結果をちらりと私は見たのだ。とても悪いと書いてあった。ところが!脳神経内科の先生は問題ないといった!!(よく考えたら専門家でもないのになぜ自分で判断するのだ?同じ病院に専門家がいるのだからまわせばいいのに!)ちらっと見ただけだったし、先生が言われるんだからという思いと、今認知症でとても大変なのに、肺の病気が増えたらもっと大変になるからよかった、という思いで、何も言わなかった。

このこともあって、ずいぶん前から悪いんだから、もう今更大変なおもいはしなくていいだろうと判断し、手術は断った。

7/14・8/11面会 8/10先生より電話。7/30より酸素マスクをしているとのこと。酸素飽和度が低い。コロナが凄いので面会の時体など障るのはNG.

8/29先生より電話。酸素を5Lまで入れている。今すぐどうこうではないけれど、長くはないかもとの事。面会どうぞとの事で順番で母と姉が8/31に面会。

この時、今までさんざん父を見たのは私なのに、葬式を姉に任せるのはどうかという思いが少し前から私に芽生えており、「小さなお葬式」の資料を先生の電話の後請求した。

そして9/2 16:00すぎ。病院より電話。私は出れなくて母が出た。状態が悪いとの事。(危篤ということだ)私から姉の会社に電話。姉は4月から隣の市に転勤になっていた。病気だったので長年住んでいる市の勤務だったが、2022年4月からおそらく10数年ぶりに転勤だ。それだけよくなっていたということだ。

姉に電話をしたのはおそらく16:20頃。すると姉は勤務が後少しだから、終わってからくるという。17:15分までだったか。私は内心びっくりしたが、そちらの都合のいい時間でいいので事故に気を付けて来るように言って、母と病院に向かった。

姉の勤務地から病院まで1時間弱かかる。定時で帰れば渋滞にかかるのでもっと時間がいるであろう。

危篤だよ?一生に1度の事だよ?自分は病気で何回も休んだであろう職場を、親のためにたった1時間も早く抜けられないのか?

もやもやはつのるばかり。

続きます。

 

 

 

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高齢者用レトルト

母の逆流性食道炎の薬が出てから1週間になった。

3日目くらいから薬が効いてきたようで、日中起きているようになった。

日中と言っても、いつも起きてくるのは昼12時前後だ。夜はこれまた12時前後までテレビを爆音でつけているので、寝るのはおそらく深夜1時頃。

父が生きていたころは、父のデイサービスの送り出しを頼んでいたので(頼まないと何もしないし、着替え、デイの準備、朝ご飯を食べさせるのはすべて私がしている)かろうじて9時頃には起きていたが、父が入院してからは、早くて10時、だいたい11時頃が平均だった。

ところが今年に入って、いつごろからかは忘れたが、起きてくるのが12時前後が平均になった。目が覚めているときもあるようだが、どうも起きてもすることがないのでゴロゴロしている模様。それに伴い胃がむかむかすると訴えるのが増えたように思う。

介護日記をつけたほうがいいな。記憶ではすぐ忘れてしまう。

逆流性食道炎の話に戻る。だんだん食べれるようになったので、それでも食事はうどんやおかゆ、おかずは卵豆腐や白身の魚にしていた。

しかしおととい、あまりにも普通に戻ったようだったので、そして本人も食欲があったので(胃ははむかむかしても食欲は普通にある)私のおかずと同じ豚こまを炒めたものを出した。それでも野菜類は少なめにし、食後に桃も出した。母はご飯をお替りしてもりもりがつがつ食べていた。

すると案の定、次の日(昨日)また具合が悪くなり、1日横になっていた。

同じことの繰り返しだな~。これはもう生活習慣を改めないと治らないな。朝きちんと起きて日中多少活動して夜早く寝る。これだけの事だ。しかし多分なにかはりのある予定でもないと無理だし、私ももうやいのやいのいうのは疲れた。正論は届かない。

しかしこれから母のために消化のいい食事かつ栄養の取れるものを別に作るのは負担だ。

確かドラッグストアの介護用品コーナーに、レトルトが置いてあったなと思い行っていると、「下でつぶせる」や「容易にかめる」など書いてあるおかずや雑炊のパックがあった。

「ハイカロリー」や栄養を考えてある介護用レトルト食品

やわらかい食事を作ることが出来ても、栄養が偏るなと思っていたから、これはとてもありがたい。

今まではカロリーメイトのゼリーを食べてもらっていたけど、ごはん系で消化が良く、栄養も考えてあるのは申し分ない。

はじめこのパウチを見たときは、う~ん、もっと高齢の人用かな(歯のないような)と思っていたが、ふと考えると母は80歳。立派な後期高齢者だった!

とりあえず今朝(と言ってもお昼12時過ぎ)、写真の左下にあるコーンスープ味のドリンク(栄養食品)を、パンやバナナで朝ご飯を食べている母に飲んでもらった。おいしかったと言っていた。

これからは躊躇なくこういうものを取り入れて、楽になっていこうと思う。

 

 

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軽口という名の悪口

父が昨年の9月に亡くなって、もうすぐ1周忌が来る。

1周忌をめどにブログでの毒吐きを終えたいと思っていたが、あっという間に2か月を切った。

しかし書こうと思っているネタはあと2・3個なので、ちょうどいいともいえる。

あとは姉の事しかない。

今日はその中の1つを書く。

父の通夜・お葬式が9月4日5日と済んで(初七日はこの時に一緒にしてもらった)1回目の逮夜が9月8日に終わった次の日。午前中は父の布団などをごみ処理場に持ち込みで処分しに行ったり、市役所にいろいろな手続きをしに行った(私1人で)

姉は葬儀から1週間休みが取れていたので、毎日家に来た。(いろいろな手続きをしに私が出掛ける間、母1人で家にいても対処できないので家にいてもらった)

この日(9月9日)午後からは父が最後に入院していた精神病院に御礼を持っていくことになり、私・母・姉の3人で出かけた。

先生分と看護師さん達分と2個持っていくことにし、お菓子屋さんでえらんでいた。私が姉に、先生はこれで、看護師さんたちはこっちでどうだろうと聞いた。すると姉はぐるりと商品を見た後で、違うものをさし、こっちはどうかといった。私が選んだものと同じようなものだったので、なぜこっちがいいのか聞くと、似たようなものだけどこっちのほうが安いから、といった。。

私は先生にとてもお世話になったことを姉にも話していたし、御礼はいいものをあげたかったので、却下し、自分で選んだ一番グレードの高いものを買った。

この時点でとても腹が立っていた。先生がどれだけ心の支えになってくれたことか。さんざん話したでしょうが。

そして病院に行って御礼をして(別室に通して下さり軽くお話もできた)、そのあと3人でお茶をしに喫茶店に入った。

そしてだいたい食べ終わったころ、私は涙が出てきて止まらなくなってしまった。通夜も葬式もそのほかの時も一切泣いてなかったのに。

父が亡くなったことがつらいわけではない。大変な介護が終わってむしろほっとしている。しかし病院に御礼に行ったため、病院での様子を思い出して、苦しそうでかわいそうな最後だったなと思うと、涙が止まらなくなった。

姉は何も言わず、母は(泣いても)いいよ、といった。

ひとしきり泣いて涙が止まったので、喫茶店を出て駐車場に行く途中、姉が私にこう言った。

○○ちゃん(初代のうちの猫。15年くらい前に18歳で亡くなって、火葬場にみんなで行った)の葬式のとき、△△(姪)と2人でドン引きしちょったよ。

私は猫が昔から大好きだったが、小さいころは飼うことは許されなかった。その初代の猫は姉が友達と拾ってきて、うちで預かっていたが貰い手がなく、そのままうちの猫になった。私が18・9歳くらいの時。姉は家を出ていたので、面倒は母と私が見ていた。

その猫がなくなったとき、私は式場でずっと泣いていた。ほんとに悲しく、焼かれるのも耐えられなかった。

そのことを引き合いに出してきて、姪も引っ張り出してきて、ドン引きしていたという。軽口のつもりか。何が言いたいのかわからなかった。

あ、もしかして、病院の面会で自分は1度も父に認識してもらえなかったのをねたんでいるのか?母が一番認識されていたが、私も初回ははっきりと嬉しそうに名前を呼ばれた。そして母と私の時は父の表情がよかった(写真を送りあっていたのでわかった)。当然でしょう、あなた全然お世話どころか顔も出してないじゃない。

しかし私の感覚では、軽口にしても絶対に言うべきことではないし、いい話ではないことは明らか。父の死を悲しんでいるときにかけるべき言葉か。この時は怒りとか悲しみとかをもう超えてしまって、始終無の心でした。

以上が吐き出したいことでした。

 

そして今年8月の新盆。親戚を呼ぶめどがついて、母に説明していた。すると母は(姉)ちゃんは?と聞いた。私はもう縁を切ったので、私が誘うことはない、(そのほか相続で姉がどんなにがめつかったかを説明した)といった。しかし母は、親だよ?呼ばないといけないという。私は親だよ、なぜ生きているときに全然うちに来なかったのか、一切介護をしなかったのか、そして今生きている母にも何もしないのか等問うてみた。答えない。

どれだけ言っても覚えてないし、親戚を呼ぶときの対面もあるからか、何度も聞いてくる。なので、私は連絡しない、するならご自分でどうぞといった。

そしてその夜、母は姉に電話をしていた。ちょうど私が2階から偶然おりてきたところに家の固定電話からかけていたので、途中からだったが聞き耳を立てた。

実は8月5日に父の一周忌と初盆の法要を、私と母だけでお坊さんを呼んでするのだが、それを他の親戚の法要と間違えているようだ(何回言っても覚えられないし、メモもしているが理解できないようだ)それを読み上げて、これは◇さんのところだから関係ないか、と言っていた。(しかし何回も8月5日の事を教えているが、1周忌と初盆の法要は2人でいいらしい。この時に(姉)ちゃんは?とは聞かれない。お盆は親戚が来るので、やはり外ずらを考えての事としか思えない)

この電話の時も姉は何か軽口っぽいことを言っていたようだ。母が強い口調であんたは関係ないでしょ!と何度も言っていた)このやり取りを少し耳にして、縁を切ってほんとによかったなあ、と思うなどした。

さて、お盆はどうなることやら。

 

 

 

 

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