50代の日常ブログ

介護その他の吐出しをだいたい終えることが出来たと感じます。もう少しちょっとした吐出しを続けて、そのあとはまた考えようと思います。

興奮

父のこと。

6月中旬に認定調査があった。父も例にもれず張り切って答えていた。しかし私や母のことは聞かれても誰かわからなかったようで言葉を濁していた。自分の誕生日もわからなかったかな。

結果は要介護3。1から3にアップだ。調査員さんちゃんと見てくれたんだとほっとする。

6月下旬に脳神経内科受診。父の状態が落ち着いているからか、予約が取れなかったからか忘れたが、次は8月下旬の予約となった。

そして7月。父がだんだんとまた興奮するようになった。いつだったか忘れたが、興奮してなんと職員さんに足技をかけて倒した。

夕方皆が帰る準備をして、車に乗り込もうとするのを阻止しだし(妄想が炸裂したようだ)、それを止める職員さんに対してやったらしい。

時系列は忘れたが、このころの父の妄想は以下。

・外を見て、「えらい方がおりてこられる」

・鏡の中の自分と話している。(鏡の中の自分と話すのはアルツハイマー型の症状と本には書いてあった。ほかの認知症では見られないと。医者の言うことは結局机上の空論だな)

・箸を耳と口に当て受話器のようにして、「もしもし、、、」と言って話している。

などなど。その他トイレの操作がわからなくなっている。

その他の暴力は、父がトイレを失敗してしまい、それを職員さんが片付けていたら、蹴ってくると。

私は常に平謝りだったが、これは謝って済むことではないと思う。暴力は暴力だ。

それで脳神経内科の受診は8月でまだ先だったので、急遽電話受診をさせてもらった。そうしたら、また同じ向精神薬の処方だ!!さらに興奮したときに頓服として同じ薬を追加で飲ませてと言われた。デイさんにそのように言って渡すと、興奮してしまったらもう飲ませることはできない。いつ興奮するかは、気分が変わりやすいので予測はできないとのこと。もっともだ。

このことがあってデイさんは(というかデイさんは常に先を見て考えてくれている)グループ会社の認知症に詳しいスタッフの方に聞いてくれていて、例えば認知症の進行を遅くする薬としてドネペジルを2錠だったか父は飲んでいた。しかしこの薬は攻撃性が強くなるから減らすかやめたほうがいいとのこと。実際落ち着いた方もおられたそう。その他、レビー小体型認知症の人は精神病院を受診しているので、受診してみたらどうかと教えてもらった。

この助言はほんとに助かった。自分だけではたどり着けなかった。ではケアマネが何をしているかというと、なあ~んにも。どうですか~と聞くだけ。聞くだけならまだしも、受け入れが難しくなるかも、などと私にはどうしようもないことを言ってくる。で?何かプランがあるの?

更に7月末に父が発熱した。朝も少しだるそうだったが、熱は普通だった(コロナ渦で毎朝家で検温している)。しかしデイについてしばらくしたら熱があるとの連絡があり、すぐ連れて帰って夕方発熱外来を受診した(発熱外来は夕方しかやってない)。幸い夕方には熱も下がっており、検査はしなかったが先生もコロナではない熱中症でしょうということだった。そのあとも熱が上がることはなかった。部屋の温度や水分補給に注意するようになった(毎年注意していたが、このころはいろいろあっておろそかになっていた)。そしてデイにスポーツドリンクやお菓子を持っていくという手間が増えた。。。私もだが職員さんも大変だ。。

そして8月下旬から年内にかけて、また怒涛の日々になる。

 

 

 

 

 

 

 

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