50代の日常ブログ

介護その他の吐出しをだいたい終えることが出来たと感じます。もう少しちょっとした吐出しを続けて、そのあとはまた考えようと思います。

父 レビー小体型認知症③

父が迷子になったのは認知症と診断を受けてから2年目の6月。それまで自由に外に出ていて、自転車で近くの商業施設でロトなどを買いに行ったり、歯医者も1人で月1回通っていました。私は、近くに国道も通っているし、そろそろ自転車や、1人での通院は危ないと思っていました。

そんな中、日曜日に姉と姪が15時頃くるとの連絡に、父がいないことに気づきました。

自転車がないことから、どうも14時前後に出かけたらしいと思いましたが、16時になっても帰ってきません。こんなに長い間帰ってこないのは今までなかったことから、16時30分過ぎから母と手分けして探しに行きました。母はバイク、私は自転車。

そして17時頃私の携帯が鳴りました。父を保護しているという住民の方からでした。父のかばんには万が一のために連絡先を書いた紙を入れており、それを見て連絡してきてくださいました。

その方の話では、家の前をうろうろしており、家を眺めたりしてどうも様子がおかしいので話しかけてみると、「いや、立派な家だなと思いまして」などどいっていたそう。そして鞄を開けてみてくださり紙を見つけて電話くださった。そこのおうちでも高齢者を家で見ていたので、おそらく認知症で迷子ということに気づいて保護してくれていたようで、ほんとに助かりました。

その時の父の格好は短パンにシャツにサンダル。自転車はなく、鞄を持ってました。

後日自転車を探しに行きましたが、結局見つからず。どこに行ってたかもわからず。

保護されたとことは、町の中心から反対方向の家から距離500m、歩いて10分程度のところ。おそらく家に帰ろうとして通り過ぎてしまい、うろうろしていたのではないかと。

この日はかなり気温が高く、父も汗だくになっていたことから、長らく外で迷っていたことが想像できました。

ここから怒涛の介護生活になります。

まず病院にもう一度紹介状を書いてもらって、脳神経内科を受診して相談すること。

介護認定を受けてサービスを受けれるようにすること。

家に鍵をかけて出られなくすること。

このころ母の記憶の欠如も著しかったので病院を受けるように説得して受けてもらっています。バイクもやめてほしかったがかたくなにやめない。

私の手には余る事態で、きりきり舞いでした。

 

 

 

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