父の認知症診断を受けるきっかけになったのは、ものとられ妄想でした。
77歳の古希のお祝いをしてから3か月くらいたったころ、「家宅捜索だぁ」と言いながら母の部屋に入っていき、お金を母がとっている、というようなことを言っていました。(父は母のいびきがうるさいということで、だいぶ前から床の間で寝ていました)
取られるも何も、お金の管理は母がしているのです。母も母で、「私はそんなことはしない」などと言って、父がおかしいとは思わない様子。母も元々とんちんかんで、困ったことからは逃避するタイプ。父の介護も結局最後までしないどころか妨害してましたね。
何はともあれそのころの父はものすごく痩せて、生活も昼夜逆転、趣味などもだんだんしなくなり、唯一してたのはロトとか宝くじなどいわゆる博打ですね。表情も乏しくなっていたのですぐに近所の通っていた病院に紹介状を書いてもらって、脳神経内科を受診しました。
結果はレビー小体型認知症でしょうということ。血液検査でビタミンB?だったかが少なく、認知症になりやすいということでビタミン剤と、認知症を遅らせる薬を少しずつ処方されました。
受診させるのもいい方に気を付けて、少し様子がおかしいが、脳梗塞などあったらよくないから調べてもらおう。というようなことで納得してもらい、結果、脳梗塞のあともあったので、本人も納得し、誘いを断る口実にも使っていました。
受診したことで、カレンダーの見方がわからなくなった、時計もわからない、と自分のわからなくなったことを言うようになり、布団のしまい方、ひきかたもわからないから、手伝ってほしいというようなことも言われました。ここから毎日手伝うようになり、お風呂も、蛇口やボタンがわからないので、必ず教えてから入っていました。まあわからなくなったら、ためたお湯を使ってよと言っていましたが、このころは初めに少し教えるだけでそのあとは自分でできていました。
1年くらいは私が連れて行って母と3人で受診していましたが、2年目からは母と二人で行ってもらうようにして、そのうち安定しているということで近所の病院に戻ることになり、そこで同じ薬を出してもらえるようになりました。
ここまでで2年たちました。